Lord Byron's
Shelley

ドラキュラとフランケンシュタイン

スイスのレマン湖畔

バイロンと同じ英国の詩人パーシー・ビッシュ・シェリー (Percy Bysshe Shelley 1792-1822)。今日でも甘美な潤いを与える詩集本、書籍を残す。
Shelley
1816年の6月

スイスのレマン湖畔のディオダティ荘に5人のイギリス人の男女があつまっていた。

詩人でこの別荘の主人のバイロン卿 (Lord Byron 1788-1824)
彼の主治医のジョン・ポリドリ(John William Polidori 1795-1821)
バイロン卿の友人で詩人のパーシー・ビッシュ・シェリー (Percy Bysshe Shelley 1792-1822) と、 その恋人のメアリ・ゴドウィン (後のメアリ・シェリー Mary Wollstonecraft Shelley 1797-1851)
そして、メアリの義妹でバイロンの愛人のクレア・クレモント である。


 

バイロンはスキャンダルの結果、イギリスを追われスイスに逃亡中であった。
クレアはバイロンの子を妊娠しているが、すでにバイロンは彼女を見捨てていた。


バイロンには腹ちがいの姉オーガスタとの間の娘メドラと、妻であるイザベラとの間に娘エイダがいる。
バイロンのスキャンダルとはこの近親相姦と、もう一つは同性愛である。


 

バイロンの娘エイダは、後にチャールズ・バベッジ (Charles Babbage、 1792-1871)の解析機関 の開発に協力し、世界最初のコンピュータ・プログラマーと呼ばれる。

 

シェリーにはハリエットという妻と、2年前にうまれた息子がいる。
だが18歳のメアリにもシェリーとの間の子どもがおり、ディオダティ荘でもその子の世話をしている。
一人目の子は生後11日で亡くなり、この子は二人目である。
この年の12月、シェリーの妻ハリエットは自殺し、年末にメアリはシェリー夫人となる。


ディオダティ荘の5人は、それぞれに苛酷な状況をかかえこんでいた。
夏にもかかわらず降り続く雨の日々、彼らは家の中にこもっていなければならず、そんなある日、バイロンが皆で一つずつ怪談を書いてみようと提案した。

ドラキュラとフランケンシュタインの生みの親は?

バイロンはバンパイアについての短い断片を書き、シェリーは散文の単調さに耐えられず、放棄してしまった。
しかし、バイロンの謎めいた断片文(アイデア)をもとに、素人のメアリとポリドリが、怪奇小説史上に残る名作を書き上げたのである。
ドラキュラ Dracuraの映画ポスター。多数の書籍、映画が発表されている。
dracura

1814年にポリドリは、「吸血鬼 The Vampyre」を発表し、この短編は後に舞台化され「ドラキュラ」などの吸血鬼文学流行のはしりとなった。
なお、この「吸血鬼」が発表された時、作者はバイロンであると宣伝されたこともあり大評判となった。
しかしバイロンの激怒(作者をバイロン卿と騙ったためとか、モデルがバイロン卿にそっくりだったとか諸説あり)に触れ、ポリドリは破滅してしまった。

フランケンシュタイン Frankensteinの映画ポスター。多数の書籍、映画が発表されている。
frankenstein

そして、1831年にメアリ・シェリーが発表したのが「フランケンシュタイン」である。

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